本音
昔、学生だったころ、「したいこと」しかしなかった。
「したいこと」が先にあったから、その前段階としての捕らえ方。
お金が必要だった・・・バイトした。好きな人に振り向いてほしい・・・きれいになろう!みたいな。
そこには必ず、したいことの前提にに私は動いていた。
今どうだろうか?
年齢はあのときの倍近くなって、「したいこと」より「しなければいけない」の上に何もかも乗ってないか?
最近よく会う人・・・「したいこと」してるひと。う~ん仕事や地位ではなく「したいことをしてる人」
遊んでる人?いや・・・自分という人生を遊んでるかもしれない・・・
「したいこと」からはドンドン明るくなって、「しなければいけない」からはドンドン憂鬱になって。でもその
憂鬱は解決し立派な答えが必要なことが多くて・・・
だからこど、「そうなければならない」のは操縦者が自分で、決めるのも結局は自分なんだと。
そう思うと、自分が安部総理大臣でなくてよかったなんて思ってしまう。
私達は自由だ。その自由を変な方向に使ってないかい?「したいこと」を原動力にして
きちんと何か生んでるかい?ドキドキしてるかい?
きっとこれからの人生謳歌するのは、そんな「自発するしたいこと」をする人だと思う。
・・・打ち上げ花火を見てこんなこと考えた・・・
関連記事